ネタバレ注意!!映画「君の名は。」の感想と考察まとめ

祝!「君の名は。」初テレビ放映!

映画「君の名は。」がとうとう2018年1月3日にテレビ朝日で放送されましたね。

忙しくて映画館に行って見ることはできなかったのですが、いつかテレビで放映されたら見ようと心待ちにしていました。

「君の名は。」のネタバレを含む感想や考察などはわざと見ないようにしていて、まっさらな心で見てみたのですが、やはり一度見ただけでは分からないことが多く、何度も見直しながら自分なりに「君の名は。」の感想と考察をまとめてみました。

全てにおいて”ネタバレ注意!”となりますので、見た人だけ読むようにしてください。

「君の名は。」の分かりやすい考察

映画「君の名は。」は複雑で難解であるため、一度だけ見てもさっぱり分かりません。映画を何度も見返したり、新海誠監督自ら書いている「小説 君の名は。」を読んでみて、やっとしっくりきます。『映画を見返したり小説読んだりってそんな時間ないよ』という方のために、なるべく分かりやすく映画の考察をまとめました。

タイトル「君の名は。」(英語版「Your Name.」)の意味

映画「君の名は。」は東京の都心に住む男子高校生の立花瀧(たき)と飛騨地方の糸守町という田舎に住む女子高生の宮水三葉(みつは)の体が入れ替わる物語です。

ずっと入れ替わっているわけではなく、時々入れ替わり、そして入れ替わっているときの記憶はすぐに薄れてしまいます。まるで誰かに生まれ変わって生きているような夢を見て、夢が醒めると夢の内容を忘れるように、元の体に戻ったときそれまで覚えていたはずの相手の名前を忘れてしまいます。

一度お互いが会うことができたときに名前を忘れないと誓うのですが、結局は忘れてしまいます。そして二人が糸守町の被害を救った数年後、相手の名前やその存在すらも忘れて日常を過ごしている二人ですが、偶然出会ったときに運命的なものを感じ、「君の名前は」と尋ねます。これが有名な四ツ谷の須賀神社のシーンです。そしてそれが結末となっています。「君の名は。」というタイトルは、そこからとっているということですね。

「君の名は?」というように“?”疑問文ではなくて“。”句点が使われている理由はどうしてでしょうか。それは、二人とも無意識下に名前が分かっているのです。

糸守町への彗星落下は予期されていたことだった?

三葉たちが住む糸守町に彗星が落下して町に被害が出ますが、その彗星落下は偶然ではないようです。今回描かれている彗星落下は実は三度目となり、一度目は御神体のある祠付近に、二度目は糸守湖に落ちています。御神体のある祠付近は確かにクレーターがありますし、糸守湖は隕石によりできた隕石湖なのです。1200年おきに彗星落下が起きているのです。

実はこの1200年という周期は東日本大震災の地震の周期と同じであり、新海誠監督は東日本大震災の影響を受けてこの作品を描いたそうです。

宮水家は代々男女が入れ替わる

瀧と三葉が入れ替わってお互い初めは戸惑っていましたが、徐々に慣れてきてルールを作ったり日記を書いたりしていました。一度は誰でも生まれ変わったらこうしたいとか男だったら女だったらなどと妄想したことはあるのではないでしょうか。入れ替わっての生活は大変なこともあるだろうけど楽しそうです。特に三葉は田舎の生活に辟易していて、入れ替わる前に「生まれ変わったら都心のイケメンになりたい」などと言っていましたから。

入れ替わったら周りの人は意外に気付かないようです。友人たちや家族も今日は変だなと思っても、まさか男女が入れ替わっているなど考えられません。しかし、宮水三葉の祖母と父は三葉ではないことを見抜きます。それはどうしてでしょうか。

宮水神社を代々継いで巫女をしている宮水家ですが、祖母と祖父、母と父は入れ替わりを経験していると考えられます。自分自身が入れ替わりの経験者なので、三葉の中に別人がいることを見抜き、それを受け入れます。

こうして代々男女が入れ替わり、3年先の未来を知ることによって、宮水家は彗星落下による被害を防いでいるのでしょう。

口噛み酒というタイムマシンにより、3年が巻き戻る

瀧は三葉のことが気になって東京から飛騨地方に旅立ちます。詳しい場所も分からず、三葉に入れ替わっているときに見ていた糸守町の景色をスケッチした絵を色んな人に見せて訊きますがなかなか場所が分かりません。諦めて東京に帰ろうとして最後に入ったラーメン屋で、そのスケッチを見た店主が「糸守町だね、なつかしい」と言い、三葉が住んでいたのは糸守町だったと分かるのです。

そして糸守町に行くと、そこは3年前に彗星が落下して多数の死者が出た場所で、行き止まりになっていました。三葉がこの世にはいないことを知り呆然とする瀧ですが、御神体の祠に三葉の半分の魂が宿った口噛み酒があることを思い出します。口噛み酒とは糸守町の宮水神社の巫女である三葉が米を食べて口から吐いた酒で糸守町では昔から続く儀式であり、三葉の祖母は「口噛み酒には三葉の半分が入っている」と言います。

その口噛み酒を瀧は飲み、その瞬間3年間が巻き戻り、彗星落下の日に瀧が三葉に入れ替わります。

なぜ三葉の父は町民に避難指示を出したのか

口噛み酒を飲んで三葉に入れ替わった瀧は彗星落下から糸守町を救うためにいろいろ行動を起こします。町長である三葉の父に自ら説得しに行きましたが、頑として三葉の父は瀧の言うことを聞きません。

その後三葉の体に三葉自身が戻り、三葉が自身の父に会いに行きます。その場には三葉の祖母と三葉の妹もいました。

画面が変わり、糸守町は彗星落下の前に町民がたまたま避難訓練をしていて助かったという新聞や雑誌の記事が出てきます。

この間の三葉が父を説得するところがカットされていて、『え?もうすぐ彗星が落下するのに、父を説得する時間なんてあるの?』と思ってしまいました。

そこで先程の宮水家は代々入れ替わりをしていて父と母も入れ替わっていたというところにつながるのです。父は三葉をひと目見て、さきほど見た別人が入っている三葉ではなく、三葉自身であると気付きます。三葉の父は三葉の母と結婚したものの、三葉の母は若くして亡くなり、神社の婿養子を飛び出して政治の道を歩み、糸守町の町長となります。自身が町長となったこと、三葉の母が亡くなったことは伏線であったいうことにも気付くのです。仲違いした三葉の祖母もなぜかその場にいるわけで、さすがに三葉の父はこれは一大事であるとすぐに気付いて、町民に避難指示を出すことができたのです。

三葉の入れ替わりがなぜ瀧だったのか?

糸守町を彗星落下の被害から守るために宮水家では代々入れ替わっており、三葉の母は三葉の父と昔入れ替わっていたようです。三葉の父が糸守町の町長となって町民に避難指示を出すために三葉の母は父と入れ替わっていたのでしょう。

では、三葉はなぜ瀧と入れ替わったのでしょうか?結果的に三葉と瀧は協力して彗星落下の被害から糸守町を救うことができました。瀧が選ばれた理由として、絵が上手であること、行動力があることを考えられます。三葉がどこに住んでいるのか分からないまま飛騨地方に向かった瀧ですが、瀧の上手なスケッチをラーメン屋の店主が見て、三葉が住んでいるのは糸守町だと分かりました。また瀧は、三葉を探しに行ったり、口噛み酒を飲んだり、糸守町の変電所を爆破させたりと大変行動力があります。

また、入れ替わりの力は宮水家に宿っているので、三葉が瀧を選んだと考えられます。三葉は「こんな田舎は嫌だ。来世では東京のイケメンになりたい。」とつぶやいているので、三葉の心の奥底の悲鳴が瀧を呼んだということでしょう。

すべては運命によって決まっていたことだった?

1200年毎に糸守町に彗星が落下することも、宮水家の男女が入れ替わることも、三葉の母が死ぬことも、三葉の父が町長になることも、三葉が瀧と入れ替わることも、すべてが運命によって決まっていたということになります。誰が決めていたのか、それは神ということになるでしょう。

三葉と瀧は運命の赤い糸で結ばれていたわけです。なので、入れ替わったりしますし、入れ替わりのことやお互いの存在を忘れてもまた出会うことができるのです。

ところで、なぜ人々は運命の相手がいるはずだ、あるいは運命の相手と出会ったと思うのでしょうか。運命なんてものはあるのでしょうか。

私たちは生まれてから学校や職場、趣味の場などで様々な人たちと出会い、どこかの誰かと恋をします。しかし、もし一学年違っていたら、もし違う仕事に就いていたら、その相手とは出会わなかったかもしれません。いくつもの可能性がある中で、私たちは今ここにいて相手と出会っている、それは運命と呼んでもいいものでしょう。

映画「君の名は。」は、1200年毎に彗星が落下する糸守町という架空の町で、男女が入れ替わることによって町を被害から守るという、一見現実からかけ離れた空想の物語が描かれています。ですが、現実の世界でも私たちがここにいて相手と出会うことは奇跡的な確率なわけです。運命というか奇跡というか、偶然が重なって、すべてが成り立っているのです。

そして、彗星落下から町を救えなかったという道もあれば、町を救えたという道もあります。そのように、運命は変えることができます。様々な選択肢や可能性から、私たちは自分の道を歩んでいるのです。

「君の名は。」のトリビア

Z会のCM「クロスロード」との関係は?

地上波で映画「君の名は。」を見ていると、途中で同じ絵のアニメが流れ、『これは映画の続きなのか』と思って見ていたらZ会のCMでした。2014年に新海誠監督が製作した「クロスロード」というZ会のCMなのです。

東京に住む少年と離島に住む少女が受験に向かって奮闘し、将来は東京で出会うかもというストーリーです。新海誠監督はこのCMをさらに広げ、映画「君の名は。」を描いたそうです。

引き戸がローアングルで映る理由は?

引き戸がローアングルで何度か映り、何か深い理由があるのではないかと推測しましたが、よく分かりませんでした。

調べてみると、ローアングルの視点は、新海誠監督の初期の作品「彼女と彼女の猫 -Everything Flows-」に登場する飼い猫「ダル」の視点だという見方がありました。TVアニメ「彼女と彼女の猫 -Everything Flows-」は、就職活動に追われる短大生とその飼い猫の物語で、田舎の糸守町から東京に来て就職する三葉の物語を補完しているのだそうです。

「君の名は。」の感想

宮﨑駿監督のジブリ映画とは全然違う

宮﨑駿監督のジブリ映画とは毛色が違いました。ジブリ映画は自然を大切にしようなどの強いメッセージ性が感じられ、政治的な映画と思いますが、新海誠監督の「君の名は。」はそういった強いメッセージはなさそうです。物語としておもしろいし、想像でき、絵もきれいで楽しめる、純粋なフィクションです。そういえば子供の頃はジブリ映画でもナルニア国物語でも、純粋に物語として想像しながら楽しんでいたことを思い出しました。

対象年齢は10〜20代?

ジブリ映画は幼稚園児からおじいちゃんおばあちゃんまで全世代が楽しめますが、映画「君の名は。」の対象年齢は10〜20代なのではと思います。実際、新海誠監督も「10代、20代の人に観て欲しくて作りました。」とおっしゃっています。

幼稚園から小学生までの子供でも見て楽しむことはできますが、完全に「君の名は。」を理解することは難しいでしょう。小学生であれば、先に「小説 君の名は。」を読んでから映画を見たほうが分かりやすいと思います。瀧が三葉に入れ替わったときに「自分に胸がある」とびっくりして胸を揉むという描写、バスケットの試合のときに三葉の胸が揺れるなどの描写もありますが、性描写というほどではないですので、幼稚園児や小学生が見ても問題はないでしょう。

また、30代以上の人たちからすると、見ていてちょっと気恥ずかしい部分もあります。これだけヒットになって大多数の人が見たので、つまらなかった、面白くなかったという人たちもいます。『感動の押し売りのような感じがした』『薄ら寒い』『結末があれでは釈然としない』などという感想も聞かれます。感じ方は人それぞれだと思いますが、やはり一度見ただけでは理解が難しいことも理由だと思います。

絵がきれいでリアリティーがある

新宿、代々木、四ツ谷などの馴染みの風景が出てきて、そしてそれがとても美しく描かれています。LUMINEじゃなくてTUMINEになっていたりしますが、文字一文字が違うくらいの写実的な風景が描写されているのです。

ふだん見ているはずの東京の景色は、いろんなものが入り交ざってごちゃごちゃしているせいかあるいは見慣れてしまっているせいか、そこまで美しいと思わないのですが、映画「君の名は。」で描かれている東京がとてもきれいで、映画に出てきていたところを見てみたいとつい思ってしまいます。実際、「君の名は。」の”聖地巡礼”(ロケ地巡り)をしてSNSにその写真をあげている人たちは多く、四ツ谷の須賀神社は「君の名は。」ファンの参拝が絶えません。映画「君の名は。」を通して、瀧の住む東京、三葉の住む飛騨高山、また糸守湖のモデルになった長野県の諏訪湖など、美しい景色を再発見して旅行に出かけるのもいいでしょう。

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